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楊名時太極拳系譜

楊名時楊進

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その系譜


楊名時師家
師家 楊名時

 師家楊名時は山西省太原の北、五台山の麓、五台県、古城村の生まれである。楊家は武門の血統であり、家系の伝統にしたがって、師家も幼少のころより天気の良い日は戸外の広場で、雨の日は屋内で、父君から太極拳、槍、棍等に加え袖箭(手裏剣)などの武器も含めて武術全般を教えられ育った。

 小学校の3年までを地元で終えて、4年からは省都太原の太原第一師範学校付属小学校に入学することになる。 そこでも血統のなせるわざはやみ難く、学業の傍ら課外活動を中心に武術に取り組んでいる。 そのとき武術教師として教鞭を執っていたのが、山西一の形意拳の名人、穆小義老師である。 師家は穆老師から形意拳を学び、同時に大刀、槍、棒術、などの武術を、軍隊の武術教練など様々な先生から学んでいる。

 小学校を終え、太原一の名門校である太原第一中学校に進学した師家は、中学でも課外活動で武術を学習する傍ら、この地方一の武術専門学校である山西省武術館に入門する。ここでも武藝十八般を修め、選手として演武大会に出場、活躍し優勝の経験も幾度か重ねている。 このころの待意種目は査拳、棍などであった。

 ここにも師家と太極拳との出会いがある。 師家は選手として活躍していた当時、武術館の太極拳教練を務めていた楊式太極拳の名人王新午老師より、108式を中心とする伝統楊式太極拳を伝授されている。 楊名時太極拳の基となった伝統楊式太極拳の技はこの時期に修得したものがべ-スとなる。

 ここまでなら才能ある武術少年の話に過ぎないが、師家の楊合はそれだけに収まらない。

 師家は、山西省政府によって太原第一中学校での勉学の才を認められ、省の官費留学生として京都大学留学の栄に浴することになったのである。  それは日本でいえば夏目漱石が文部省の第一次公費留学生としてロンドンに赴いたが如く、いわばエリートとしての将来を約束されたことを意味している。 もしこれがただの武術少年の話であったとしたら、日本に於ける太極拳の歴史は全く別のものになっていたであろう。

 武門としての楊家に、もう少し触れておかなければならない。
 楊家は宋の時代から続く家系であり、宗代の武将、楊六郎を始祖として師家で四十代を数える名門である。 祖先の勇壮な武勇伝は「楊門女将」と呼ばれ、中国ではテレビドラマや京劇で演じられるほどポピュラーな物語である。

 歴代のひとり楊五郎は棍術の名人として名を馳せ、その技は五郎棍と呼ばれたが、後に自己の武勇によるあまりの喧喋に嫌気がさし、出家をすることになる。 五台山は古来から四川峨嵋山、浙江普陀山、安徴九華山とともに中国に於ける仏教の四大聖地のひとつとされ、山中には多くの寺廟が点在する。 その中には出家後の楊五郎ゆかりの五郎廟がある。

 このように代々武門の誉れ高い家系であり、その意味において楊家は太極拳専門の家系ではなく、中国古来の武将の血統である。 現在の太極拳各流派の血統が六~七代目であることからしてみれば、その伝統は圧倒的である。
                   (「健康太極拳規範教程」より抜粋)

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伝統拳と制定拳


楊名時&進
師家 楊名時(右)と理事長 楊進(左)







楊進&郭老師
理事長 楊進 と郭老師(右)

 武門の家系として流れる血統は、師家来日後の現代にも脈々と続いている。  師家は古来からの武家の伝統に則り、まだ幼い次代(楊進理事長)の修行を他家の門に託している。 託した先は、京都大学の同窓で師家との親交が厚い北京出身の八卦掌の名手王勝之氏から紹介された、台湾の達人王樹金老師であった。 以前より師家のすすめによって空手などの武術に手を染めていた日本での楊家二代目楊進は、これ以降本格的に内家拳(太極拳、形意拳、八卦掌の三種の武術流派の総称)を学ぶことになる。その手始めとなったのが王樹金老師より伝授された形意拳であった。

 そのころ中国では共産党革命を経て再び太極拳が国民健康政策の一環として脚光を浴びつつあった。 そのとき太極拳を一般に普及させる中心となったのが国家体育運動委員会が制定した簡化24式太極拳である。

 簡化24式太極拳は、従来多くの型を時間をかけて行う伝統太極拳の套路を基礎に、誰もが覚えやすくするために整理し簡潔に組み直したものであり、それまでの「伝統拳」とは違い国家が制定した「制定拳」と呼ばれている。 それ以降、太極拳の普及とレベルの向上を推進させるため、また競技の規制と要求のために様々な種類の太極拳が制定されるようになった。

 出身が名門であるがゆえに共産主義革命によって帰郷の断念を余儀なくされた師家は、この簡化24式太極拳を、自己が培ってきた伝統楊式太極拳の技に照らし合わせ、中国政府が行ったのと同様に日本国民の健康増進のために普及に尽力し、今日に至っている。 日本においてこれほどまでに太極拳が普及したことに対して、師家の活躍が大きく影響していることは我々にとって周知の事実である。

 太極拳は華僑の躍進とともに地球規模で普及し、それに伴って年齢を問わないスポーツとして世界的な交流の対象となっている。 他の武術同様太極拳も日々進化しており、その方向は国際的な競技スポーツとして認知されるべく研鑚されている。 しかし、競技スポーツとしての地位を確立する一方で、伝統的技法の消滅を危惧する声も聞かれるのが実状である。 なぜならば太極拳の場合、力やスピードに頼る単純明快な武術とは全く異なる高度な技法から成り立っており、本来表演競技では表現することができない部分に核心が存在するからである。

 その意味において形態は簡化24式太極拳を採用しながら伝統的技法を色濃く残す楊名時太極拳は、武術本来の目的である健身法としても、文化的な意味からも、独自の価値を有するものである。
                  (「健康太極拳規範教程」より抜粋)

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未来への流れ


楊進理事長
理事長 楊進



 楊家第四十一代であり日本での二代目楊進は、王樹金老帥より形意拳を学んだ後、河北形意拳の真伝を求めて中国各地を訪ね歩いている。 そのとき出会ったのが希代の名人李天驥老師であった。
 老師の数少ない内弟子として拝師した楊進は、形意拳はもとより太極拳、八卦掌など内家拳全般の伝を授かり、中でも武当太極剣は中国本土の大会で金賞を得るに至った。 中国国内での交友は実に幅広く、数多くの朋友は親しみを込めて「YangJin」と呼ぶ。 これも人を惹き付けて止まない楊家の血統の為せる技であろう。

 李天驥老師が、国家体育運動委員会における簡化24式太極拳制定作業の中心人物であったことは、まるで示し合わせたかのような偶然である。
 以降、李天驥老師の兄弟弟子であり、李玉琳老師(楊澄甫、孫禄堂両師の弟子)最後の門弟である郭福厚老師からも太極拳の奥深い技法を伝授され、加えて太極拳経を中心とする文献解釈の研究と科学的解釈の融合、太極拳推手の技法究明などによって、師家楊名時の伝える伝統太極拳技法を、武術性および健身性の両面から裏付けを成すに至っている。

                   (「健康太極拳規範教程」より抜粋)

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